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本山寺縁起

 

 

大同二年(807年)平城天皇の勅願として、鎮護国家の為に、弘法大師が創建されたと伝わる。

 

本山寺は山号を七宝山、院号を持宝院、高野山真言宗の寺院であり四国八十八ヶ所霊場第七十番札所である。

 

古くは、長福寺という寺号だったが、江戸時代19世紀頃に本山寺と称されるようになった。

 

約2万平方メートル(坪数6000坪)の広大な境内には、国宝本堂、国指定重要文化財仁王門など多くの堂塔が建ち並ぶ。

 

本尊は四国霊場唯一馬頭観音とし、脇侍仏に薬師如来、阿弥陀如来を祀る。

 

明治再建立の風格ある五重塔は遠方からでも姿を見せ、本山寺のシンボルである。

 

 

 

本尊脇侍仏、阿弥陀如来は別名「太刀受けの弥陀」と呼ばれる。

 

天正年間(1573~92)長宗我部元親の軍勢に攻められた際、住職が兵士たちの侵入を阻止しようとした。

 

しかし、兵士たちは住職を切りつけ本堂へと入った瞬間、目の前に阿弥陀如来が現れ、その姿は肩から胸にかけて血を流していた。

 

その姿を見た兵士たちは、恐れ退いて退散し、寺は戦火を免れた。

 

木々に囲まれた境内には、お遍路さんたちの読経の声が響く。

 

1200年の歴史が今も生きる本山寺へどうぞご参拝ください。

 

 

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